沿革

1920年代

関東大震災から大戦に、株式会社戸田組の設立

1923年(大正12年)の関東大震災は、建設業界に耐震構造としての本格的な鉄骨造や鉄筋コンクリート造の時代をもたらしました。
当社は震災直後、罹災者用応急住宅12万戸のうち一万戸を受け持ち、震災復興に全社一丸となって従事、その後も佐野利器博士主唱による東京の小中学校鉄筋コンクリート化にも、20数校を請け負うなど復興工事に明け暮れる一幕もありました。震災で焼失した本社社屋が1929年(昭和4年)12月には旧本店の地に鉄筋コンクリート造で完成しました。また、1924年(大正13年)にいち早く設置された横浜出張所を皮切りに、大阪(昭和11年)に支店、名古屋(昭和6年)、釜石(昭和12年)などにも出張所が開設され全国組織の総合建設業者へと成長しています。1936年(昭和11年)には戸田組は資本金200万円の株式会社になりました。
この時期の主要工事には、早稲田大学大隈講堂、震災記念堂、愛知・富山・栃木の各県庁舎、横浜税関庁舎、東京郊外鉄道井の頭線、日本製鐵釜石港突堤などがあります。一方、1937年には日中戦争が始まり、軍事色が濃くなっていきました。

早稲田大学大隈講堂

日鐵釜石突堤

終戦、事業の再興

1945年(昭和20年)8月に終戦を迎え、日本国中が荒廃してしまいましたが、いち早く国土再建に立ち上がったのは建設業でした。当社でも業務が再開され、終戦後 数年は、進駐軍関係の工事が多かったのですが資材不足、作業員不足は深刻なものでした。
そのような中、1945年11月、組織の再構築を図り、戦前からあった大阪支店の他に東北、名古屋、広島、九州の各地に支店を設置し、また、各県に営業所、出張所を設置、1948年には札幌にも支店を設立し、全国ネットワークを確立していきました。
この時期には、代々木ワシントンハイツ、金山体育館などを施工しています。