沿革

1950年代

高度成長時代、土木部の設置

1955年(昭和30年)前後になると、いわゆる高度成長時代に入り、日本経済は目ざましい発展をみせました。同時に当社も発展し、東京都庁舎(現在は都庁の新宿移転に伴い、解体され跡地に国際フォーラムが建っています)、横浜市庁舎、早稲田大学文学部校舎など著名建築物を手掛けています。
また、1956年には土木部門を新設し、名実共に総合建設業者としての組織を確立しました。建築に比べると、より実績を重視する土木工事においても当社は粘り強い努力を重ね、都営地下鉄1号線押上地下鉄、箱根バイパス天狗橋などを施工しました。
1958年には研究室も設置し、技術革新時代に対処することになりました。また超高層時代にそなえ、アメリカの大型工事の施工法、設計計画手法などを学ぶため、1962年より「国外留学」を制定、以後約10年にわたって毎年2~3名をアメリカに留学させました。
この時期のデータは何と言っても東京オリンピック(1964年開催)であり、高速道路、新幹線時代の幕開けでもあります。東京オリンピックで当社は建築においては駒沢公園整備陸上競技場を担当、また関連工事として首都高速のいくつかの工区、さらに名神(石山瀬田高架など)、東名(多摩川橋下部など)の高速道路、新幹線工事と発足後、間もない土木部門も飛躍的な事業の発展をみせています。

箱根バイパス天狗橋

旧:東京都庁舎

戸田順之助社長の就任と新八重洲ビルの竣工

1961年(昭和36年)、それまで社長であった戸田利兵衛が会長に、副社長であった戸田順之助が社長に就任しました。また、本社屋である新八重洲ビル(1期、現在TODA BUILDINGに名称変更)も同年に完成しています。続いて、1963年にはそれまでの商号「株式会社戸田組」を「戸田建設株式会社」と改めています。社歌も同年に制定されました。

戸田順之助(現:取締役名誉会長)