沿革

1960年代

組織の変革、株式上場、万博

日本万博スイス館(光の木)

昭和40年代、当社では業績の進展に併せて、組織の変革を行いました。ひとつには、1965年に建築、土木、事務(後に管理)の3本部制をしき、一方では1969年に横浜支店を設立し、続いて1971年には本社から東京、関東を分離独立させました。なお、同年には当社は創業90周年を迎え、各種記念事業が行われました。
この間、1969年には、長い間待望されていた当社株式を東京証券取引所第2部に上場、その後、第1部に指定替えとなり、大阪にも上場しています。
この時期、施工法にも近代化が見られ、各種の杭工法、山留め工法、機械化施工が進みましたが、当社でも技術部門により、各種工法が開発されています。また、PCa工法も進歩をみせており、当社も千葉県・成田に工場を建設しました。
しかし、1973年(昭和48年)のオイルショックにより、それまでの高度成長時代は終わり、低経済成長、安定経済成長時代へと移り、建設業も苦難の時代を迎えました。
この時代の工事といえば、高度成長時代の象徴ともいえる日本万国博覧会工事があげられるでしょう。当社は日本建築学会「万博特別賞」を受賞したスイス館をはじめサントリー館、コダック館、などの工事を担当しました。

海外への本格的活動と四国支店の設立

1972年(昭和47年)、当社はブラジル・サンパウロ市にブラジル戸田建設、アメリカ・ニューヨーク市にアメリカ戸田建設を設立、本格的な海外事業のスタートを切りました。その後、韓国のホテルロッテの設計業務及び工事監理、ビルマ(現ミャンマー)、スリランカ、パラグアイ、ボリビア、リビアなどで工事を受注、数多くの実績を残しています。
また、本四架橋工事の始動で活気を帯びてきた四国経済をにらんで、1976年(昭和51年)1月、新たに四国支店を設立しました。