TODA BUILDING
ビルと街の境目をなくす
人の行き来は、
ずっと自由になる

TODA BUILDING

2024年秋、戸田建設の新しい本社ビル「TODA BUILDING」がオープンする。120年以上にわたる京橋での歩みの先に、隣接街区と共同で「京橋彩区」を形成。低層部にはミュージアムやギャラリーコンプレックスをもつ、超高層の複合用途ビルとなる。街とつながり、にぎわいを生み出し、京橋の芸術文化の新しい発信拠点を担う。

本社の建替えにとどまらない
街に還元するエリア開発。
京橋の良さを活かしたい。
京橋プロジェクト推進部 小林彩子
コンセプトは「人と街をつなぐ」。一企業の本社ビルの建替えという枠を超え、より広く、「街に対して何を還元できるか」を考えることから、「TODA BUILDING」の計画はスタートしています。

まず最初に、自分たちが120年以上事業を行ってきた「京橋」が、どのような街なのかを改めて見直してみたんです。フィールドワークをしたり、地域の方々にヒアリングしたり。そのなかで見えてきたのは、ここ京橋は、美術商が集まる街として全国的にも広く知られていること。東仲通りは骨董通りとも呼ばれ、老舗の古美術店をはじめ、現代アートのギャラリーも点在しています。また、江戸時代まで遡れば、職人が集まる街。絵師の歌川広重なども居を構え、アーティストを受け入れてきた芸術文化の街でした。
そういった京橋のいいところを大切にしながら、もっと広く知ってもらいたい。その思いが、私たちの開発計画の揺らぐことのない基盤。だからこそ、その長い時間軸のうえにある「アートの街」を継承し、新たな芸術文化の発信拠点になりたい。それが、「TODA BUILDING」が街に還元できる価値のひとつなのではないかと考えています。

もうひとつは「にぎわい」です。銀座や日本橋に比べると、京橋は人通りが少なく、こんなに東京駅にも近く、立ち寄りたくなる魅力がある街なのに、回遊するイメージがないのは本当にもったいない。その回遊による「街のにぎわい」を生み出すポイントが、ビルの足元を開くこと。大きな広場を設け、エントランスロビーを開放するなど、通常のビルでは考えられない「仕掛け」で街との一体感を生み出そうとしています。

建物のセキュリティ上は、入り口は閉じるのが普通です。オフィスビルであればなおさら、関係者しか入れない動線にする。でも今回は、低層部が複数の芸術・文化施設で構成されており、一般の来場者とビル関係者の入り口を分けず、あえて自由に行き来できるような設計にしています。
新進気鋭のアート作品に出会える3層分、16mの吹き抜けエントランス
誰もがアクセス可能な6階屋外テラス
異なるもの同士の出会いや交流、
その化学反応で
イノベーションが生まれる。
期待しているのは、多種多様な人々の交流です。ただ、交流といっても、建物を開放するだけでは生まれないと思っていて、そのときにカギとなるのが、京橋の良さであり、この街ならではの「アート」の力。共用部の随所に新進アーティストによるパブリックアートを展示するなど、戸田建設が取り組む様々なアートプログラム「ART POWER KYOBASHI」を交流のきっかけとして実践していきます。

「TODA BUILDING」をイノベーションが起きる場所にしたいんです。イノベーションって、何かと何かの境界を行き来することで生まれる。あるいは、はっきりとした境界はなく、にじんでいるような曖昧な場所で、異なるものが合わさり、その化学変化で起きる。個人的な経験としても、社内の他部署や社外の人たちとコラボレーションをすると、新しいアイデアが生まれたりする。そういう、イノベーションを生み出す場所として「TODA BUILDING」があることが、人と街、街とビル、芸術文化の新旧をつなぐひとつの方法なのではないかと思います。
2024年11月開業予定のTODA BUILDING外観(右)

街への思いを象徴する
大きな広場と開放的なエントランス。
本気だからこその、大胆なプラン。
設計部門 中川康弘 & 一條真人
あまり記憶にないかもしれませんが、戸田建設の旧本社は、中央通りに面した歩道に沿う形で、横に長く建っていました。建替えによって誕生する「TODA BUILDING」では、その旧本社があった場所が丸々、広場になります。

新たな本社ビルの設計にあたり、最も重要になったテーマは、建物と街をどうつなげていくか。そのためには、広場のあり方がカギになるだろう、と考えたわけですが、広場といっても、他の大規模開発に見られるような、大通りに直交する通路状の広場ではなく、思いきって面的な、都心では考えられないような大きな広場をつくろう、と。その広場が、人と街、そして街とビルをつなぐベースになっています。続くエントランスロビーは、高さ16m、3層分の吹き抜けです。ロビーも広場の一部として、街に開放しています。

こんな開発は他にないと思うんですよね。事業性で考えたら、ありえない。正面の目抜き通りに対しては、自社の利益を生むスペースをできるだけ多くもっていたいと考えるのが普通です。でも、我々は長く京橋を拠点とし、街への還元を本気で考えるなら、このくらい大胆なことをしてもいいんじゃないか、と。10年間で設計プランは何度も変更しましたが、広場がベースであることは、一度も変わっていません。
免震層が支える、災害時には一時避難場所になる正面広場
超高層ビルであっても、
人がつくる。
ものづくりの会社であることを
建物全体で伝えたい。
我々は建設業なので、ものづくりへの思いというのも、意識したことのひとつです。もともと京橋は、職人の街でもある。ものづくりって、やっぱり人なんです。人がつくるんです。そこを見ている会社だってことを、建物全体で強く発信していきたい。そのため内装では特に、できるだけつくり手の存在を感じられるデザインや素材を選定しています。

低層回りの外装材、PCカーテンウォールは、あえて色むらがあるような、不均一な仕上がりを目指しています。エントランスには、ゆらぎのある釉薬をかけた、国産の大判のタイルを用いる箇所も。触りたくなったり、近づいて見てみたくなったり。そのことで建築と人との関係や距離、愛着って、ずいぶん変わると思うんです。多種多様な人が訪れるビルだからこそ、長く愛される、ある種の表情みたいなものも大事にしたいと考えています。

もうひとつ、「TODA BUILDING」の大きな特徴は、ここで働く人と一般のお客さんの入り口とが、同じであること。東京都心の超高層ビルは、大抵、低層に商業施設が、上層にオフィスフロアがあり、入り口は、ほぼ別です。それを共通にして、どこからどう入って、どう出てもいい、という、ある意味それも大胆な設計になっています。迷うのではないか、というご指摘もあるかもしれません。でも、迷い込んだ先で、面白いものに出会ったりするじゃないですか。共有部では常にアートを楽しめたりもするので、何か別の目的で来た人も、思いがけず出会ったアートに触発されるようなことになれば、設計者としては、とてもうれしい。来るたびに、新しい発見のあるビルになるはずです。
街とビルの境目をなくす開放的なエントランスロビー

本社ビルは自分が手がけた。
その実感を全支店の社員の
心のなかに残したい。
施工部門 庄司大輔
本社ビルですからね。それは力も入ります。思い入れもあるし、プレッシャーもある。その本社ビルをつくる技術、ということで言うと、施工そのものの技術の前にまず、現場のチームづくり、人づくりが大きい。

「TODA BUILDING」の現場チームは、戸田建設の全国の支店から集まってきた社員たちで構成されています。超高層ビルの現場経験者って、地方の支店には少ないんです。当然、それぞれの地域で難しい建物をみんな経験しているのですが、高いという意味で言ったら、やったことがない。現場監督としては、そこがひとつ挑戦で、超高層の建物をつくり慣れた人たちだけで本社ビルをつくるのではなく、その成果をみんなの成果にしたい。全国から集まったメンバーそれぞれのなかに「自分が建てたんだ、自分たちが手がけたんだ」という気持ちを残したい。

そのためには、自分で計画して自分でやって、失敗もして、なんだかんだ言いながら形ができあがっていくという、実感みたいなものが必要なんですよね。支店それぞれにやり方があるし、文化がある。それは時に、お互いの壁になる。でも、ひとつの建物をつくるのに壁があるのはおかしい。まずは社員同士の壁を壊し、協力会社の職員や作業員含め、チームとしてひとつになれる環境をつくることが、とても大事な取り組みになっています。
コアウォール免震構造
最高レベルの耐震性能を誇る
コアウォール免震を
超高層ビルで実現。
思いを形にする仕事。
施工そのものの技術的には、「こんな難しい現場見たことない」というくらい、すごく難しいことをやっていて、鉄骨もここまで複雑に組むことはまずないですから。建物って、かっこよくしようとすればするほど複雑になる。つまり現場は、難しくなるので、すんなりうまくはいきません。うまくいかないときに、自分はここまでだから後は知らない、みたいに思ってしまうと、もう全然、進まない。それもチームづくりの話になってしまいますが、誰か他の人が少し失敗しても自分たちが代わりに取り戻す、みたいな関係じゃないと、たぶん、このビルは建たない。

「TODA BUILDING」の特徴に、「コアウォール免震構造」があるのですが、施工側からしたら、これこそ、もう本当に大変な工事です。でも、なぜコアウォールかといったら、日本一、いや世界一耐震性能のある建物をつくりたいという設計側の「思い」ですよね。その思いを形にするのが、我々の仕事。やるしかない。

いつも言っているのは「まず設計としてベストな解答を出してほしい」と。ベストがあれば、それを形にするために、施工側の我々もどうすればいいのかを考える。最初から、これはできないですよねと遠慮して譲歩されたものを出されてしまうと、新しいもの、いいものは生まれない。

やっぱり本社ビルですから。10年余りかかった設計の思いのバトンを受け取って走っているという感覚は、間違いなくあります。マラソンのラストスパートみたいなものですよね。今はその、ラストスパートの真っ最中です。
コアウォールの建設風景

京橋は大人がくつろげる街。
文化を継承し、地域一帯で
多彩なアートを発信していきたい。
公益財団法人石橋財団 アーティゾン美術館 副館長 笠原美智子
京橋の魅力は、ひとことで言うと姿がいい。ちゃんと大人が楽しめる街ですよね。自分で物事を考え、楽しめるような落ち着きのある街。しかも極端に高級だったり贅沢だったりを志向しているわけではなく、素朴さや人の温かさもある。精神的な意味で大人な方々が、真にくつろげる街なのではないかと思います。

アーティゾン美術館は、前身である1952年開館のブリヂストン美術館時代から、そういった京橋の魅力と並走し、街の顔としてあり続けてきました。その伝統を受け継ぎ、自分たちの施設のみならず、街全体をいい形で発展させていくことが、これからの使命。戸田建設と共に取り組んできた街区開発、「京橋彩区」もその試みのひとつです。

「京橋彩区」のテーマは、多彩な芸術文化にふれられる新しい街づくり。アーティゾン美術館も「TODA BUILDING」も、それぞれの事業者にとっては個別の建物ですが、街を訪れる方々にとっては、「京橋」というひとつのエリアですから。私たちの所蔵作品と、「TODA BUILDING」内の文化施設で取り扱う作品は、傾向が違います。その多様性が面白さですよね。多様で多彩な芸術文化を横断し、行き来できる環境を整えることで、街に活気や人の流れが生まれます。街区開発の計画がスタートしたのは2015年。地域一体で思い描いてきた新しい街の姿が、「TODA BUILDING」の誕生でいよいよ実現へと向かうのですから。大きな期待を寄せています。
ギャラリー、ミュージアム、ショップなど多彩な芸術文化の発信地を目指す低層フロア
この場所でなければできない
街区開発を目指して。
大きな変革も、
ひとりひとりのつながりから。
私は以前、恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で30年余り学芸員をしていました。東京という都市に身を置きながら、芸術文化の担い手として、街とアートの関係を注意深く見続けてきました。そのあいだ、東京ではいたるところに同じようなビルができ、飲食街ができ、そこに「アートを散りばめる」という同じようなプロジェクトがいくつも生まれ……。世間の関心が、新しいものからより新しいものへと移っていくのも見てきました。そのあり方には、個人的に、大きな疑問を抱いています。

アートは、目新しさを演出する道具ではありません。だからこそ、ここ京橋では、アーティゾン美術館しかり、戸田建設しかり、長年この地に根付いてきた老舗企業だからこそできる開発は何か、この場所でなければできない、アートの継承や発信の方法は何かをずっと考えてきました。

答えを探る際のキーワードのひとつが、「つながり」だったと思います。私たちは、街とつながり、地域の人とつながり、そのつながりのなかでアートを受け止め、ときには育て、次の世代へと渡していく。どんな大きな変革であっても、その大元をたどっていくと、ひとりひとりのつながりが動かしていると、私には思えて仕方がないんですよね。美術館という組織のなかで展覧会を実施するにあたっても、キュレーターとアーティスト、会場を設計する人と設営をする人、個人と個人のつながりで、その場が形づくられていく。

「京橋彩区」も、視点を細かくしていくと、結局はひとりひとりのつながりで動いているんです。そういう意味で、「人」を大事にすること、地域を大事にすることが、私たちが目指す新しい街づくりの柱であり、一過性で終わらないアートへのまなざしの、最も重要な部分ではないかと考えています。
アーティゾン美術館とTODA BUILDINGの間の歩行者専用道路が街につながりを生む
定期的にパブリックアートが入れ替わる共用部